パチンコ中毒から破産へ

気軽な金額から借金地獄になるまでのプロローグ

叔母夫婦は私の祖父母が経済的に恵まれた人たちだったので、新婚時代に新築一戸建てを建築してもらい住宅ローン一切がない恵まれた夫婦でした。
叔母はずっと結婚後も仕事を続けましたが、叔父は定職に就かないで30代になったら仕事には一切行かなくなり、叔母の稼ぎで日中パチンコに入り浸りはじめました。
叔母の仕事が休みの時は夫婦でパチンコ三昧で、生活費を少しずつ消費者金融に借りて補てんしていたようです。

 

 

私は20歳になった頃、ある日叔母夫婦が揃って実家にやってきて、少しお金をかしてもらえないか?と祖母と父に言ってきました。その時は確か10万円必要だということでしたが、2週間もすればまた10万円を借にくるということが続き、問いただすとしょうsy金融8社から2000万近い借金があるということがわかりました。

 

父が取引上付き合いのあった銀行関係のかたの調べてもらうと消費者金融というよりは支払いが滞っているためヤミ金融のようなあまりよろしくないところが3社ほど入っていることがわかり破産をしなければ残りのお金があったと後から利子を付けられたりすると支払ったことが無駄になると言われそういう専門の弁護士の先生を紹介されました。

 

 

ここで私たちが初めて気づいたことは、破産するのにもかなりの資金が必要だということです。
まず裁判所に破産する意思表示をし、破産することが決定されるまでに数ヶ月かかるわけです。
その間お金が無く破産をするということですから当然引っ越しも夜中に総出でやり、父の名義で借りたアパートにひっそりと数ヶ月暮らすわけです。
裁判所に届け出れば住んでいた家家具、家電は全て差し押さえの紙が張られるのでなに一切持ち出しできなかったので、衣類と食器のみ持ち出しました。

 

破産宣告が認定がおりるまでの数ヶ月は、ヤミ金融の取り立ての人が調べて私の実家までやって来て数度嫌がらせを受けたりしました。
大声で怒鳴るといった調子でした。

 

叔母夫婦は破産宣告なんて嫌だと自分達の立場をわきまえず言っていましたが、あれからあい変わらず叔父は働かず日中パチンコに行き叔母が60歳を過ぎても働き長男名義でお金を借に家を再度購入したようです。
こういった生活ができるのもあのとき弁護士の先生の的確なアドバイスにつきます。

 

気軽な気持ちで3万円借りてパチンコに行き、負けて悔しくまた数万円借りて返済に困り別で10万円借りてを繰り返し、雪だるま式に膨らんだ総額10年で2000万弱。
まさに私のカード払いを未だに嫌ってしまう元凶となった出来事が叔母夫婦の破産でした。

 

 

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